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大阪高等裁判所 昭和37年(く)77号 決定

少年 T

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、附添人弁護士大野新一郎提出の抗告の要旨並びにその理由に記載のとおりであるから、これを引用する。所論は原決定は被審人並びにその家族の不実の供述によつて成年者である被審人を少年と認定した違法がある。

即ち(一)大阪市住吉区長新堂賢二作成の昭和三四年一〇月一日発行の被審人の外国人登録証明書によれば、被審人の生年月日は一九四一年(昭和一六年)三月二八日と明記してあり、また(二)大韓民国駐日代表部作成の檀紀四二九一年(昭和三三年)八月一三日発行の大韓民国国民登録証によれば、被審人の生年月日は四二七四年(昭和一六年)三月二八日と明記してあつて、既に成年に達しているのに拘らず、少年と認定した原決定は、決定に影響を及ぼす法令の違反があるから取消されたいというのである。

よつて調査するに、附添人提出の外国人登録証明書並びに大韓民国国民登録証によれば、少年の生年月日が昭和一六年三月二八日である旨記載されていること所論のとおりである。

しかしながら、事件記録並びに少年調査記録を調査するに(1)少年の司法警察員に対する昭和三七年七月一四日付、同月一六日付(二通)各供述調書、同月一五日付裁判官の少年に対する勾留尋問調書、原裁判所の審判調書にはいずれも昭和一七年一二月二四日生である旨記載されていること、(2)少年の実母金○子こと金貞○、実兄○川○吉こと徐○竜の司法巡査並びに検察官に対する各供述調書によれば、少年は父○川○守こと徐○守と母金○子こと金貞○との間に昭和一七年一二月二四日東京都西多摩郡△△村で出生したのであるが、徐○守が文盲であつたため、外国人登録制度が施行された当時、近隣の人々と一緒に附近の者に外国人登録の申請を一括して依頼したため、少年の生年月日を誤つて昭和一六月三月二八日生と届出られたものと思う。しかし少年が小学校や中学校に入学した時はいずれも昭和一七年一二月二四日生となつていた旨の供述記載があること、(3)少年に対する窃盗保護事件の昭和三二年一二月一一日大阪家庭裁判所の決定書並びに少年に対する窃盗、臓物牙保保護事件の昭和三五年一一月八日大阪家庭裁判所堺支部の決定書にはいずれも昭和一七年一二月二四日生と記載されていること、(4)大阪市立△△小学校長沢教頭の副検事本田勉宛電話回答書によれば、少年の生年月日は昭和一七年一二月二四日生である旨、(5)大阪市立○○中学校、石井教論の家庭裁判所調査官数藤茂に対する電話聴取書によれば、少年は昭和三三年三月同校を卒業したことが各記載されていること。以上(1)乃至(5)を総合すれば、少年の生年月日は昭和一七年一二月二四日と認定するのを相当とすべく、(6)附添人提出の慶尚南道固城郡永吾面長作成の戸籍謄本によれば、少年は父徐○守、母金点○の男として檀紀四二七六年二月一五日生と記載されてあるが、母の氏名が前記(2)の金貞○と違つており、また少年の生年月日も附添人の主張と相違し且つ前記(1)乃至(5)の昭和一七年一二月二四日生とも相違しているが、若し戸籍謄本の記載が真実とすれば、少年は昭和一八年生であつて現に少年である。従つて原決定が前記(1)乃至(5)に従つて少年を昭和一七年一二月二四日生と認定して、中等少年院に送致する旨の決定を言渡したことは正当であり、仮に前記(6)のとおり檀紀四二七六年二月一五日生であつても、未だ一九歳の少年であるから、原決定には成年者を誤つて、少年と認めた違法はない。記録を精査しても、原決定に所論の違法はない。論旨は理由がない。

よつて本件抗告は理由がないから、少年法第三三条第一項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小田春雄 裁判官 石原武夫 裁判官 原田修)

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